Find.もじこうの人 vol.9
左:吉田さん 右:青柳さん

場所:門司港駅貴賓室

門司港にはまちに魅せられ、まちを愛慕する、様々な人が集まっています。
そんなまちを愛する人同士に出会っていただきました...

吉田 お久しぶりです。社長に初めてお目にかかったのは20年くらい前でしょうか。まだJR九州の本社が門司港にあった頃、門司港駅の駐輪場活用の件で相談に上がりました。

青柳 そうでしたね。あれは私がまだ運輸部長の頃だったと思います。重要文化財については、それからさらに10年ほど前でしょうか。今から30年前のJRになった年、私が経営管理室副長時代に門司港駅を重要文化財にする話を県の方としていまして、私は是非ともそうしたいという思いで会社に持ち帰りましたが、会社のみんなからは大反対されましてね。当時の鉄道事業本部長からは、「君は門司港駅を重要文化財にしていない理由を知らないのか。」と懇々と話をされました。それでも駅舎としてぜひ重要文化財の第一号にしたい!という強い思いで説得を続けました。最後には、なんとか重要文化財の申請へ動き出すことができました。その後私は別の部署になりましたので、後任が調印を行いましたが、その時は嬉しかったですね。

吉田 今の門司港駅があるのは社長の情熱のお陰だったんですね。私は駅が重要文化財になってから自分でも何か協力できないかと思い、色々なイベントを企画して行なってきました。胡弓の演奏会を行なったり、百人一首大会は15年間くらい開催しました。

青柳 そうでしたね、やりましたね。まちづくり団体の皆さんには本当に色々とご協力いただいた覚えがあります。

吉田 社長は幼少期を門司港で過ごされたとお聞きしました。

青柳 父が門司病院で医者をやっていましたので、片上にある県営住宅や清見で小学校まで過ごしたんですよ。中学からは鹿児島のラ・サールに行ったんですが、門司港へは時折帰省していました。片上の県営住宅は山の中腹にあって、そこから見える関門海峡が好きでね。夕日が沈んでいくところに、石炭か何かを積んだ外輪船が行き来していて、関門海峡っていいところだなあと思ったものです。今でも夕日を見ると当時を思い出して、なんとも言えない気持ちになりますね。
私は清見小学校を卒業したんですが、その頃ずっと剣道をやってましてね。当時は門司港駅のすぐ前の郵船ビルの裏に水上警察署があって、その3階か4階に道場があったんです。毎週そこへ通って、朝の練習が終わると角のうどん屋に行って、うどんを食べて帰る、というのが大変楽しみでした。当時、門司市では大きな大会が一年間に三つあったんですが、お陰で6年生の時には、その全ての大会で優勝できたんです。

吉田 そうですか。それはすごい!。
その当時は門司港が人気の観光地になるなんて思ってもみませんでしたよね。
平成7年に「門司港レトロ」がグランドオープンしてから色々な施設が整備されてきましたが、その中でも門司港駅の人気は断トツです。やはり大正時代から街を見守ってきたシンボルであり、現在も〝現役〟というのが最高の魅力なんです。

青柳 それは嬉しいですね。駅が現役である、というところには私も拘っていまして、文化庁の方に「駅はこれからもずっと使い続けていきたいので色々な規制はかけないで欲しい。」とお願いをしました。なので、実は正確にいうと外観だけが文化財に指定されていて、中については事業の為の改造なんかも可能なんですね。ただ、今回は中まで全て復原、且つきちんと鉄道としての役割を果たせる形、ということで色々と検討しました。本当に素晴らしい復原工事になったと思います。東京駅も立派ですが、私は門司港駅にかなう駅は他にないと思っていますよ。

吉田 私も同感です。二回ほど工事中に見学させていただいたのですが、とにかく拘っていますよね。一番びっくりしたのが、壁の中で全く見えない部分なのに、馬のしっぽの毛を入れているところでした。すごいですよね。復原にあたり社長も拘った点があると思います。今回、みかど食堂が開業されますが、どのような思いからだったんでしょうか?

青柳 私が昭和62年に門司港に戻ってきた時には、みかど食堂は二階の広い場所から一階へ移っていました。うなぎの寝床のような所でこじんまりと営業していたんです。門司港駅の開業当時は、みんなが晴れの日に利用するような九州一のレストランだったという話を聞いていましたので、寂しい思いでしたね。いつか食堂を再興できればとずっと思っていたんです。そして復原工事を行うことになった折に「日本一のレストランを作りたい。」という思いで、日本一のシェフ成澤さんに相談したところ、洋食文化にも非常に興味を持ち、レシピも書きためていて、「いつかお客さまに日本の文化である洋食を提供したい。」という思いがあることを聞きました。「それではぜひみかど食堂で披露してください。」と話がまとまりました。
今まで門司港駅をかわいがってくださったように、みかど食堂もぜひみなさんで盛り上げて、育てていただければ嬉しく思います。

吉田 今までの100年があって、そしてこれからの100年をまた受け継いで行けるといいですよね。

青柳 そうですね。これから100年、鉄道が世の中にあるかはわかりませんが、生きた鉄道が100年後も残っているようにという思いでやっていきたいですね。
門司の人たちは門司港駅を見ながら、ある意味誇りを持ってやってきたんですが、それを若い人になかなか伝えにくくなってきているのかなと思います。ここで改めて〝門司港駅〟という地元の皆さんの共通の拠り所が復原されることによって、もう一度、門司の時代背景やどちらかというと先頭を歩んできた地域であることなどを認識してもらいながら、これからは違った形で次の100年に向けて、自分たちが受け継いで伝えていくんだ、という思いを再確認していただけたら良いなと思います。

吉田 清春さん
門司港レトロ倶楽部 副会長
大里高等学校を卒業後、西南学院大学入学。同大学卒業後、実家の宝石・めがね店を継ぎ4代目社長に就任。
門司のまちづくりに35年前より携わり町美化活動なども実行中。

青柳 俊彦さん
九州旅客鉄道株式会社 代表取締役社長 執行役員
ラ・サール高等学校を卒業後、東京大学工学部入学。同大学卒業後、日本国有鉄道入社。
1987年 国鉄分割民営化に伴い九州旅客鉄道株式会社へ。
2014年 同社代表取締役社長に就任。

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