Find.もじこうの人 vol.3
左:土谷さん 右:稲葉さん

場所:旅館むつみ関門荘

海峡の港町「門司港」。
この地に特別な魅力を感じ、この地を愛して止まない人たちがいます。
そんな町の人同士に出会っていただきました...

――自己紹介をお願いします。

土谷 この宿の主人をしております、土谷と言います。出身は大分の国東半島というところで、現在の豊後高田市に農家の長男として生まれました。高校を卒業後地元の農協に勤めたんですが、当時は初任給が6,000円で卵が1個8円の時代でした。そんなとき、門司港や下関でホテルや薬局を手広くやってる叔父から宿をやらないかと誘われて、「お前ならできる!」「嫁も薬局で働いてる適当なのがいるから結婚したらいい!」と、 26才の時に言われるがままにここに来たんです。長男の私が家業を継がずに飛び出したもんだから、 叔父共々父親にはひどく怒られましたね(笑)。

稲葉 そうなんですね(笑)。 私も25歳の時に東京からここへ移住して来て、今の主人と出会い結婚しました。なんか似てますね(笑)。私、彫刻をやっているんですが、東京にはなかなか良い作業場が無くて、門司港美術工芸研究所の研修生に応募してここに来たんです。今は主人と清滝の古い長屋に住んでいます。

――お二人共清滝にお住まいですが、この土地の魅力ってなんでしょうか?

稲葉 人がとっても優しいんです。はじめは知り合いもいなくて、近所の方が声をかけてくれるのがとっても嬉しかったです。風で飛ばされた私の落し物を拾っておいてくれたり、洗濯物を干す時にベランダ越しにおしゃべりしたり...いいんですよねえ。

土谷 すれ違っただけでもお互い挨拶するし、マンションには少ない人と人のつながりがありますよね。あとね、前に路地で写真を撮っている方がいたので声をかけたら、東京からいらっしゃった方でしたね。

稲葉 確かにこういう雰囲気のある路地って東京にはなかなか無いですもんね。ここはお散歩するのにすごく楽しいところでもあるんですよね。迷路みたいだし(笑)。

――古い時代と比べて訪れる人も変わってきましたか?

土谷 昔は国鉄のサラリーマンのお客様が多くてね。平日が忙しかったあ。

稻葉 まだ門司港レトロができてない頃ですよね?

土谷 そうそう。レトロができてからはやっぱり観光客が多くなって、週末が忙しくなったね。今じゃ若い女子大生なんかも来る(笑)。最近はここ清滝にもギャラリーができたり、すぐ近くにはもうすぐカフェができると聞いてるけど、若い人達が熱心に頑張ってくれていて、人の流れも少し変わって来たように思うね。

――稲葉さんのような新しく町を担っていく人達にメッセージをいただけないでしょうか。

土谷 アドバイスなんてことは無いけどねぇ、門司港でお店を出したり、色々な活動をしながら頑張っているのを見ると、ありがたいとも思うし、同時に期待もしているよね。若い人が頑張ると街に元気が出てくる。

――これからの夢を聞かせてもらえないでしょうか。

土谷 僕はね、色んな繋がりで今までこうして来れたから、残された人生はその恩返しをしたいと思ってる。格好つけてと言われるかもしれないけど、日々思ってますよ。 残り少ない人生でその恩返しをしたい。それが夢。でもこれじゃあ、夢がないねえ。(笑)

稲葉 いえいえ 素晴らしいですね。私は外に彫刻を置いてみたいっていうのがずっとあって、 例えば公園や街の中に作品を置いて、自由に触ってもらったり、乗ってもらったり、くぐってもらったり...。そこに動物が止まったりしてもお面白いですよね(笑)。後はいつか自宅ギャラリーや教室とかやりたいですね!

最後にみんなで奥様に出していただいた苺のショートケーキを食べながら、静かな清滝の路地裏を堪能しました。

土谷義一さん 大分県国東生まれ
大分県国東で農家の長男として生まれる。地元の高校を卒業し農協へ勤めた後、26才の時に叔父に誘われ門司港へ移住。修行後、昭和40年に「むつみ関門荘」を開業。現在は門司旅館組合の組合長を30年、レトロおもてなしの宿の会の会長を14年務めている。

いつも笑顔が素敵な土谷さん。趣のある旅館と土谷さんご夫妻のおもてなしは門司港の宝です。

稲葉彬子さん 東京生まれ
東京生まれの東京育ち。多摩美術大学を卒業後、作業場を求め、門司港へ移住。現在は彫刻家として活動中。路地裏にある築80年の長屋に住んでいる門司港ファンの一人でもある。

ふんわりとした雰囲気の中にも芯の強さを感じました。これからも門司港アートをお願いします。

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  • もじこうの人 vol.2
  • 場所:旅館むつみ関門荘