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  • 田野浦

遠い昔に思いを馳せる

現在、NHK大河ドラマ「龍馬伝」などの人気で幕末の歴史が再注目されていますが、坂本龍馬はここ関門海峡を舞台とした歴史にも深く関わっています。


「1866年6月、第二次長州征伐、「四境戦争」が、将軍・徳川家茂の命によって開戦されます。長州を四カ所から攻撃するというもので、6月7日から16日まで断続的に行われて長州側の優勢に終わり、17日に最後の決戦”小倉戦争”が始まります。小倉戦争開戦直前、坂本龍馬と海援隊は長州藩から薩摩藩へ贈られた米の返却と、薩摩藩名義で購入した長州藩船ユニオン号(桜島丸・乙丑丸)の引き渡しのため下関に来ます。その際、龍馬は参戦を請われ、同月17日に始まった小倉戦争を高杉晋作とともに戦うことになります。龍馬は大里・彦島沖で長州海軍三艦を指揮し、砲撃を加え、高杉晋作や山縣狂介(有朋)、伊藤俊輔(博文)達を大里に上陸させたそうです。門司側の田野浦や楠原(現レトロエリア)の民家や小倉・幕府軍の陣屋が焼き払らわれたのもこの時のようです。 」


このように小倉戦争に参戦した龍馬の足跡や歴史を辿り、龍馬が見た関門海峡の風景を感じながら各ポイントを回るツアーが、今回ご紹介する「龍馬を辿り関門海峡を渡るバスツアー」です。龍馬が書いた筆画を見ながら幕末の歴史を堪能しててみてはいかがでしょう。

関門国道トンネル

太平洋戦争で工事が一時中断されますが、1952年工事を再開し、1958年に開通した有料道路です。 入り口に関門トンネルという文字があるのですが、門司側は吉田茂が書いた文字、下関側は岸信介が書いた文字が使われています。

伊藤本陣跡

2000坪20室の広大な本陣があったところですが、現在では井戸が残るのみです。邸内の一室で龍馬とおりょうさんが逗留したことでも知られています。当時は西郷隆盛やシーボルトなどたくさんの著名人が泊まっており、西郷隆盛が寄贈したという手水鉢も残っています。

火の山公園中腹

伊川貴船神社

龍馬が加担した小倉戦争のやりとりを見渡すことが出来る、大変臨場感のある場所です。 門司にある甲宗八幡宮はその時に龍馬の艦砲射撃で全て焼かれてしまったそうです。龍馬が小倉戦争の様子を細かく書いた筆画を手に見渡す風景は美しく、感慨深く感じます。

みもすそ川公園

源平合戦の舞台となった場所で、長州砲(レプリカ)が並んでいます。 義経が本陣を構えた満珠・干珠という島が見え、源平合戦のその様子を語りつぐ 紙芝居などもあり、関門海峡の歴史を伺い知る事が出来る場所です。

関門人道トンネル

源平壇之浦合戦の壁画

海の中をビルにして門司側は14階分、下関側は12階分をもぐったところにある人道トンネルです。 片道780mを歩きますが、県境などの印もあり不思議な空間を体験できます 。

田野浦の街並

めかり神社

江戸時代初期には、小さな漁村でしたが北前船の寄港地となり、物資の集積や人々の往来で次第に活気あふれる港町に発展していきました。現在でも江戸時代の建物が所々に残っていて、当時の雰囲気を伺い知る事が出来ます。また、幕末に長州の奇兵隊の襲撃にあったお宅には、床柱の刀傷が当時のまま残されています。その他、平家一門を供養するために建てられたお寺があったりと様々な時代の歴史の一端を伺い知る事の出来る場所です。