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遠い昔に思いを馳せる

ここ門司港は歴史の重要な転換期に幾度も登場する"関門海峡"を望める場所に位置しています。長い歴史のなかで周辺には数多くの史跡が残され、今もひっそりと佇んでいます。今回ご紹介するツアーはその歴史の中のひとつ、壇之浦の合戦にまつわるものです。


「1183年、平家は源義仲に攻められ、安徳天皇と三種の神器を奉じて都を落ち、九州の太宰府まで逃れ、この地に内裏を造営しようとします。ところが、重盛の元家人・緒方維義が謀反を惹起。三万騎の軍兵を率いて太宰府に進撃中との報を受けた一門は、原田種直や山鹿秀遠など在地豪族に守られながら、再び太宰府を落ち、豊前国・柳ケ浦(現在の北九州市門司区大里)から海上へ逃れ出ます。(平家は九州を落ちる前に柳ケ浦に仮御所を定めたと言われています。)その後、鎌倉政権の源頼朝と義仲との対立に乗じて摂津国福原(現在の兵庫県神戸市中央区)まで復帰することになりますが、1184年の一ノ谷の戦いで大敗を喫した平家は海に逃れ、讃岐国屋島(現在の香川県高松市屋島)と長門国彦島(現在の山口県下関市)に拠点を置くことになります。そして1185年、有名な「壇之浦の戦い」により栄華を誇った平家は滅亡に至ります。」


これらの歴史の中で平家が九州を落ちる前に残した史跡やその他の逸話をガイドの案内で巡るツアーが「壇之浦の合戦に散った平家の足跡を辿るバスツアー」です。遠い昔に思いを馳せる、貴重な体験をしてみてはいかがでしょう。

風呂の井戸

風呂の井戸

安徳天皇と平家一門がこの地に着き、鏡池の玉水といわれた泉の水を風呂の用水にし旅の疲れを癒したことでたたえられています。 ポンプの下には800年前の水が今でも残っています。

柳の御所

柳の御所

平家が九州を落ちる前、柳ケ浦に仮御所を定めたと言われています。 安徳天皇を奉じた平家一門が大宰府、筑前山鹿城を経て、この地に造営した仮の御所ですが、 今ある拝殿は明治天皇のご休憩所として使われた建物を移築したものです。 安徳天皇と平宗盛の木像がおさめられていた(現在は戸ノ上神社に祭祀)みかげ石づくりの石室が残されています。

伊川貴船神社

伊川貴船神社

平家の子孫の方が祭っている「にいのあま、安徳天皇、むねもり」の3体の木像を見ることが出来ます。 点在していた土葬の兵士の墓も集められ、祭っています。毎年1月23日には徹夜で供養をする行事が800年もの間、続けられているそうです。

大積水天宮

大積水天宮

平家きっての勇将、能登守教経の奥方「海御前」が壇ノ浦の戦いで破れ、流れ着いた遺体を村人が 手厚く葬ったのが水天宮です。海御前は河童の総師になったという伝説があり、河童が祭られています。

源平壇之浦合戦の壁画

源平壇之浦合戦の壁画

高さ3m幅44mの壁画は1400枚の有田焼で出来ています。 この壁画には義経の八艘飛びや源氏の裏切り者の話など、壇ノ浦の戦いにちなんだ たくさんの話が盛り込まれています。

めかり神社

めかり神社

1800年の歴史を持つこの神社は、人間界と神界の間にある神社とされ、日本3代竜宮といわれています。 壇ノ浦の合戦前夜、平家一門が最後の酒宴を開き戦勝祈願したといわれる神社です。 旧暦元旦には「めかり神事」が行われる事で有名です。  目の前には6時間おきに潮の流れがかわる、すばらしい潮流が見られる場所でもあります。

甲宗八幡宮

甲宗八幡宮

裏にある筆立山の頂上にあった平知盛の墓が大水害で転げ落ちてきて以来、こちらで祭ってあるそうです。