メイン

門司港レトロについて

明治初期に開港。120年の歴史

明治初期に開港して、120年。
門司港レトロエリアには、明治から大正にかけて作られた建物が今でも残っています。 木造建築の門司港駅を初め、大正浪漫ただよう建物たちがエキゾチックな雰囲気を醸し出しています。 商業施設も充実しており、ミュージアムや美術館など歴史やアートを感じられる場所も多く、 ゆっくりと散策を楽しむことができます。さらに、少し足を伸ばした和布刈(めかり)エリアには、絶好のビューポイントがたくさんあり、歴史の重要な転換期にたびたび登場してきた関門海峡を望むことができ、関門大橋も間近に見ることができます。
そして、忘れてはならないのが巌流島です。
武蔵と小次郎の歴史がここにあります。

門司の歴史

門司の歴史

かつて、明治から昭和初期にかけ栄華を誇った街、門司。近代日本を支えた港町として歴史に名を刻んでいる。
明治二十二年に石炭などを扱う国の特別輸出港に指定され、貿易港としての地位を確立した門司は、その後、日清戦争、日露戦争の勃発と共に、ますます栄えていくことになります。中国大陸が近いこともあり、軍需品や兵士たちを送り出す重要な港となり、米、兵器、軍服などの品物を扱う商業が目覚ましく発展していきました。大正三年には門司駅新駅舎(現在の門司港駅)が完成。この年の八月に日本は第一次世界大戦に参戦。十一月には中国の青島を攻略し、門司は大戦景気に湧きたちました。その後、欧州航路の寄港地にもなり、港は莫大な利益を得ていくことになります。大陸貿易も盛んで満州などへの貿易船、大陸航路の客船で大変にぎわいました。この頃には、日本三大港(神戸、横浜、門司)の一つとして数えられ、重要な国際貿易の拠点となっていました。大商社や銀行が先を争って門司に支店を出そうとし、地価が暴騰したのもこの時期の事です。一坪八十円、現在の四百万円以上まで騰がったことを考えると、どれだけ門司が栄えていたか容易に想像できるでしょう。そして、大陸貿易の発展とともにもう一つにぎわったものがありました。料亭と花街です。門司には数多くの料亭があり、清滝には10件以上もの料亭が林立していました。旅館も多数あり、高松宮殿下が定宿としていた「三笠」もそのうちの一つでした。また、芸伎衆もおよそ200人、置屋も20軒以上あったと言われており、当時の華やかな風情が想像できます。このように、終戦前までは非常に栄えていた門司だが、終戦とともに大陸貿易が縮小され石炭も減り、港として低迷し次第に衰退していくことになります。そして、現在では『門司港レトロエリア』として生まれ変わり、年間200万人以上の人が訪れる観光地として、新たな歴史を歩もうとしています。

まちづくり団体「門司港レトロ倶楽部」について

写真